「ナツゾラユリシーズ」制作秘話とか死とか
最近、また新たに曲を作っています。といってもオリジナルではなくて、某有名バンドのカバーです。この曲を初めて聴いたのは確か中学生の頃でした。エヴァのMAD経由です。これはまた結構古い曲で、アップロードしたら何で今更こんなのを掘り起こしてカバーすんねんと言われそうですが、この曲は今だから聴いてほしい曲なんです。まあでもその真意は完成までのお楽しみということで。
既存の曲の打ち込みはオリジナルとはまた違う面白さがあります。他人の筆致を盗み見るというか、こんなコード使ってるんだ〜とか、ベース斬新だな〜、とか、勉強させてもらっている状況ですね。
作曲を始めたきっかけはハチの「砂の惑星」でした。前々回の記事に書いたとおり僕は結構昔からのボカロリスナーなんですが、あの曲をリピートして聴いているうちに、俺このまま聴くだけでいいのかな、という思いがふと現れてきたんです。あと大学の夏休みは長くて、何か一つ自由研究みたいなことがしたいなあと思ってたんです。実は音楽を作ること自体にはすごく昔から興味があって、デタラメな作曲めいた事もやったことがありました。でもそれらは僕のパソコンの録音ファイルに溜まっていくばかりで日の目を見ることはなくて、あえなく僕の黒歴史的なモノの一つになっていきました。今回のはそんなモノじゃなくて、ちゃんと理論に基づいた作曲をしてみようと思い、本を買いました。
タイトルからしていきなり理論から逸脱しましたが、まずは作ってみることが大事だろうと。バイトでの収入もそんなに無いけどタダでもそれなりのDAWソフトが手に入る。楽典を眺めるだけで目眩を起こし楽譜すら読めない僕だけど、ピアノロールだったら何となく分かる。楽譜読めないから書けもしないけどノートを置いたら音が鳴るから何となく分かる。コンプレッサーとかノーマライズとかブロックノイズとかよく分からなかったけどネットで調べたら何となく分かる……情報社会に助けられながらの作業でした。
そんなこんなで2週間ほどの悪戦苦闘を経てできた曲が「ナツゾラユリシーズ」でした。本当は「砂の惑星のアンサーソング」というテーマに基づいて一曲作ってみようと思っていました。(万年金欠ゆえ)ボーカルをUTAUにすることは決めていたので「ボカロとUTAU」という対立軸を使って、UTAUキャラがボカロに憧れる、みたいなのも良いな~なんて考えてみたり、逆に最近のマイブームでもあるHIPHOP調のトラックにUTAUのラップをのせて砂の惑星をディスってやろうか、とも画策していました。「何がハチだよ」みたいな反骨もマンネリ化甚だしいボカロ界隈には良いかなと。disも愛あればこそですしね。そもそもボカラップとかミックホップ(ミクとヒップホップの鞄語)ってまだまだ発展途上だからその流れに入ってみるってのも面白そうだなと。旅はまだまだ続くんだと。そんなことを考えているうちに毒が抜けて「旅」の部分だけが大きくなっていったのがこの曲です。ユリシーズ(Ulysses)ってのはオデュッセウスのラテン語名で、オデュッセウスといえば『オデュッセイア』の主人公ですね。オデュッセイアというのは賢明な読者諸兄の皆様ならご存知だと思いますので割愛します。ハイ思い出せないだけです。長い長い旅のことをオデッセイとか言いますよね。そんなイメージです。
【滲音かこい・雪歌ユフ】ナツゾラユリシーズ【オリジナル】 https://t.co/0BFkGt2Ea8 #sm31802486 #ニコニコ動画
— アルン堂guan (@34guan) 2017年8月30日
キラキラした青春の日々を柔らかく謳っているようにみせて、後半でずしんと来る歌詞の構成と、叙述トリックみたいな曲の合わせ技。すてき。
Twitterでリスナー様からこのような評価を頂きました。ありがとうございます。
僕があの曲で表現したかったことは、端的に言えば「青春のキラキラ」「死者に思いを馳せる」でした。楽曲の製作期間とお盆が重なっていて、そういう題材もいいかな、と思いました。動画で使ったイラストにも色々と要素を詰め込んでいるので目を凝らして見てみてください。
これを読んでくださっている奇特な方々、あなたが一番身近に「死」を感じる季節はいつですか。僕は夏です。一般的には死とか、静的な季節と言われたら冬をイメージすると思うんですが、夏って動植物すべての生き物が活発になる季節で、それがかえって死を色濃く見せているような気がするんですね。光が強ければ影も濃い、的な。前にも言ったようにお盆があるから死者を意識する。蝉が木にとまってミンミンとけたたましく鳴いているなかで路上で足を畳んで静かになっちゃったヤツもいる。それに目が行く。山や海で遊んでいる人もいれば遭難や水難事故、熱中症で亡くなる人もいる。そういうニュースに悲しくなる。8月になると嫌でも戦争とか原爆とかを意識する。NHKとかで戦争の特集がよく組まれるようになってそういうのを見ては過去の惨事に思いを馳せる。夏の終わりは特に死を意識します。夏休みが長くなったとはいえ体感的には夏の終わりは8月31日で、その日の前後数日間は一年の中でも特に中高生の自殺が多くなる日です。高校生の時は実力テストとか定期試験とか文化祭とかに追われていたので何かを感じる暇もなく気が付けば10月になっていたのですが、休みが延びた今になっていろいろなことを考えてしまいます。死とは創作意欲を掻き立てるものだなと。こんなことを言うと「死を軽視している」とか「不謹慎だろう」とか言われるやもしれませんが、身内とか友人の死でない限り死ってその程度のものだと思います。(臨死体験はともかく)死を経験したことがある人なんてこの世に生きていませんし、実態は結局誰にも分らないんですから。