谺草子

ある時は名古屋の大学生として、またある時は「槌井こだま」として、日々を記録していきます。

選挙とか

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雨粒が部屋の窓ガラスを叩く。めちゃくちゃにうるさい。平成もあと二年。そんな今年に平成最大級の台風が日本にやってくる。大学生の身分では気になることは明日が休講になるかならないかだ。かといって明日月曜は2限しかないから休講になったとしてもありがたみは薄い。休講になってもならなくてもやることは次の劇に向けて台本を覚えることくらいなのだが。うーん、早く覚えないと。

 

今日は衆議院議員総選挙の日だった。誰もが予想した通りのつまらない結果だった。そんなことは別にどうでもいい。僕は「少しでも面白い結果になればなあ」という考えのもと普通に近所の投票所に行って普通に投票用紙にしかるべき名前と党名を書いてハコに入れた。でも、世の中そんな普通の人だけじゃないらしい。自民圧勝を憂いてか、投票用紙に適当な党名と絵をかいてそれを撮影してツイッターにアップロードしていた人を見かけた。それだけならまだよくある話だと思う。でも、その人は僕の知り合い……というか昔あこがれていた人だった。

 

以前の記事でも触れた気がするが、僕は小学生のころ「うごくメモ帳」というDSiで配信されていたソフトで(今となっては)黒歴史を生産していた。その時に大人気だった人が件のツイッターの人だった。あの頃僕は純粋に「この人絵が上手くてうらやましいなあ。こんな女の子が描けたらなあ」と憧れていた。今になって、その人の常識の無さ、というか、大人げなさを垣間見てしまった。悲しい哉。

リアルに近づくフィクションとか

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つい昨日まで僕は大学生というより演劇人だった。経験したなかで最大規模の公演に役者として参加し、界隈で有名な役者(みな年上)と共演し、学生主体の劇団としては最高レベルのものができたと思う。

 

この劇を作るにあたって僕含め12人の役者は演出を中心に据えてそれぞれの役の持つ思惑、感情をなるべく格好つけないように、なるべく生に近い感じで客席に届けることを目標にして稽古を重ねてきた。その結果そんじょそこらの劇では観れないレベルの叫び声の応酬、感情の衝突を作り上げることができたと思う。観客は観ていて相当疲労感を覚えたと思うし、実際終演後に寄せられた感想のなかには「観ていて疲れた」「しんどい」という意見も多くはなかったがあった。

 

小屋入りをして客席が組み上がって、僕はずっとこの劇の「リアリティ」について考えていた。上演時間はだいたい90分、そのうち役者が叫び声や怒鳴り声をあげている時間は少なく見積もっても40分くらいだっただろうか。実世界でそれだけ長い時間怒号が間髪を入れず飛び交う現場に遭遇したことがある人はどのくらいいるだろう。僕は経験したことが無い。そもそも自分の大学生活にそこまで感情が入り込んでいるような気がしない。普段感じていることは「快」「不快」「楽しい」「楽しくない」くらいの原初的な感情だ。それはきっと自分だけじゃなくて、結構な数の人がそう思っているに違いない。感じたものをそのまま出すのは疲れるし、自分の不利益にも繋がりかねない。逆に生の感情を受け取るのも疲れる。

 

自分の周りには"演劇"然とした芝居がたくさんある。詞的で幻想的で青春の匂いがして現代的なアプローチと古臭い芝居論のあいの子みたいな中途半端な……そんな劇も好きなものは好きだが、虚構性を高めようとしてかえって自分の中の実世界に近づいているような気がする(それは全然悪いことじゃないのかもしれない)。逆に、今回の劇のような感情ぶつけ合いの方がフィクションのように感じられる。それは演劇をやっている人たちに所謂オタクが多いからかもしれない。たとえば声優の演技は現実の人間の声の機微とはかけ離れている。それを僕らは日々消費している。声優の声であふれかえった世界が常だとしたら、そっちのほうがリアリティを持つことになって、普通の人の話す言葉の抑揚とか間は「生っぽい」だけで「リアル」ではなくなる。これは面白い発見かもしれない。

 

 

シャツとか

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今日はとある行事に出席するために本当に久しぶりにワイシャツを着た。自分はずっとワイシャツが苦手だった。首元が締まって息苦しいし、何より似合わない気がしてた。

かつて自分は「コーディネートなら任せてくださいよ。ジブン全国一位っすから」とうそぶく服屋の店員の言うままに季節感のある爽やかなワイシャツを買ったことがあった。でも結局それは今まで一度も着ていない。今日着たのは今度出演するお芝居の為に買ったワイシャツ。いかにもホワイトカラーという感じの奴。それで今日、あらためて久しぶりに着てみたら、何だかとっても良く似合っている気がした。面白いと思ったデザインのTシャツを集めては着るを繰り返し、Tシャツ以外着てやるものかというポリシーを貫いてきた自分が今日、本当に人生で初めて、ワイシャツを良いなぁと感じた。これで大人に混じっても変じゃないな、と。つまり自分の中ではワイシャツとは大人のシンボルなのだと、自分自身に気付かされた。

ここ数年、ずっと友人知人先輩後輩問わずあらゆる人間から「君顔老けてんねえ」と言われ続けてきたが、自分としてはそんな感じはしない。鏡で見る自分はどうみても19歳の男だ。でも写真を撮ってみると明らかに世間に揉まれてくたびれたおっさんがそこには写っている。主観と客観の違いかな。だとしたらその二つのビジョンの落差は物凄い。不思議な話だ。

自分の内面は見た目に反して幼い。少なくとも自分自身ではそう思ってる。社会人になんて1ミリもなりたいと思わないし、感情も疲労もわかりやすく顔に出るし。でも今日の一件で少しだけ大人の内面を手に入れた気がした。単純に自分の価値観の一つの殻がパリッとこう剥けただけかもしれないけど、なんかそんな感じがした、のだ。

「ナツゾラユリシーズ」制作秘話とか死とか

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最近、また新たに曲を作っています。といってもオリジナルではなくて、某有名バンドのカバーです。この曲を初めて聴いたのは確か中学生の頃でした。エヴァのMAD経由です。これはまた結構古い曲で、アップロードしたら何で今更こんなのを掘り起こしてカバーすんねんと言われそうですが、この曲は今だから聴いてほしい曲なんです。まあでもその真意は完成までのお楽しみということで。

既存の曲の打ち込みはオリジナルとはまた違う面白さがあります。他人の筆致を盗み見るというか、こんなコード使ってるんだ〜とか、ベース斬新だな〜、とか、勉強させてもらっている状況ですね。

 

作曲を始めたきっかけはハチの「砂の惑星」でした。前々回の記事に書いたとおり僕は結構昔からのボカロリスナーなんですが、あの曲をリピートして聴いているうちに、俺このまま聴くだけでいいのかな、という思いがふと現れてきたんです。あと大学の夏休みは長くて、何か一つ自由研究みたいなことがしたいなあと思ってたんです。実は音楽を作ること自体にはすごく昔から興味があって、デタラメな作曲めいた事もやったことがありました。でもそれらは僕のパソコンの録音ファイルに溜まっていくばかりで日の目を見ることはなくて、あえなく僕の黒歴史的なモノの一つになっていきました。今回のはそんなモノじゃなくて、ちゃんと理論に基づいた作曲をしてみようと思い、本を買いました。

 

作りながら覚える 3日で作曲入門

作りながら覚える 3日で作曲入門

 

 

タイトルからしていきなり理論から逸脱しましたが、まずは作ってみることが大事だろうと。バイトでの収入もそんなに無いけどタダでもそれなりのDAWソフトが手に入る。楽典を眺めるだけで目眩を起こし楽譜すら読めない僕だけど、ピアノロールだったら何となく分かる。楽譜読めないから書けもしないけどノートを置いたら音が鳴るから何となく分かる。コンプレッサーとかノーマライズとかブロックノイズとかよく分からなかったけどネットで調べたら何となく分かる……情報社会に助けられながらの作業でした。

 

そんなこんなで2週間ほどの悪戦苦闘を経てできた曲が「ナツゾラユリシーズ」でした。本当は「砂の惑星アンサーソング」というテーマに基づいて一曲作ってみようと思っていました。(万年金欠ゆえ)ボーカルをUTAUにすることは決めていたので「ボカロとUTAU」という対立軸を使って、UTAUキャラがボカロに憧れる、みたいなのも良いな~なんて考えてみたり、逆に最近のマイブームでもあるHIPHOP調のトラックにUTAUのラップをのせて砂の惑星をディスってやろうか、とも画策していました。「何がハチだよ」みたいな反骨もマンネリ化甚だしいボカロ界隈には良いかなと。disも愛あればこそですしね。そもそもボカラップとかミックホップ(ミクとヒップホップの鞄語)ってまだまだ発展途上だからその流れに入ってみるってのも面白そうだなと。旅はまだまだ続くんだと。そんなことを考えているうちに毒が抜けて「旅」の部分だけが大きくなっていったのがこの曲です。ユリシーズ(Ulysses)ってのはオデュッセウスラテン語名で、オデュッセウスといえば『オデュッセイア』の主人公ですね。オデュッセイアというのは賢明な読者諸兄の皆様ならご存知だと思いますので割愛します。ハイ思い出せないだけです。長い長い旅のことをオデッセイとか言いますよね。そんなイメージです。

Twitterでリスナー様からこのような評価を頂きました。ありがとうございます。

僕があの曲で表現したかったことは、端的に言えば「青春のキラキラ」「死者に思いを馳せる」でした。楽曲の製作期間とお盆が重なっていて、そういう題材もいいかな、と思いました。動画で使ったイラストにも色々と要素を詰め込んでいるので目を凝らして見てみてください。

 

これを読んでくださっている奇特な方々、あなたが一番身近に「死」を感じる季節はいつですか。僕は夏です。一般的には死とか、静的な季節と言われたら冬をイメージすると思うんですが、夏って動植物すべての生き物が活発になる季節で、それがかえって死を色濃く見せているような気がするんですね。光が強ければ影も濃い、的な。前にも言ったようにお盆があるから死者を意識する。蝉が木にとまってミンミンとけたたましく鳴いているなかで路上で足を畳んで静かになっちゃったヤツもいる。それに目が行く。山や海で遊んでいる人もいれば遭難や水難事故、熱中症で亡くなる人もいる。そういうニュースに悲しくなる。8月になると嫌でも戦争とか原爆とかを意識する。NHKとかで戦争の特集がよく組まれるようになってそういうのを見ては過去の惨事に思いを馳せる。夏の終わりは特に死を意識します。夏休みが長くなったとはいえ体感的には夏の終わりは8月31日で、その日の前後数日間は一年の中でも特に中高生の自殺が多くなる日です。高校生の時は実力テストとか定期試験とか文化祭とかに追われていたので何かを感じる暇もなく気が付けば10月になっていたのですが、休みが延びた今になっていろいろなことを考えてしまいます。死とは創作意欲を掻き立てるものだなと。こんなことを言うと「死を軽視している」とか「不謹慎だろう」とか言われるやもしれませんが、身内とか友人の死でない限り死ってその程度のものだと思います。(臨死体験はともかく)死を経験したことがある人なんてこの世に生きていませんし、実態は結局誰にも分らないんですから。

 

自分の想像力とか演劇とか

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自分は文章を書くときに長々と推敲してしまう。時々面白い小説を思いついたりしてスマホのメモ帳に書き始めるんだけど、細かな部分を推敲しているあいだに熱が冷めて文字を打つ手が止まってしまう。だから思った、せめてブログとかのどうでもいい文章を書く時くらいは長考はやめようと。

 

最近つくづく、自分には想像力が無いな、と思う。何を想像力と呼ぶかによって話は変わってくるだろうけど、たとえば小説の一説から場面の絵ヅラを想像するのは簡単だ。「国境の長いトンネルを~」という『雪国』の有名な冒頭から場面の情景を思い描くのは難しいことでも何でもない。でも、登場人物の心情とか、思考・感情の流れを想像するのは苦手だ。まだ小説ならいい。小説は地の文で情報量を確保できる。しかし戯曲のスクリプトなんかは読むのが難しい。延々とセリフの羅列で、心の声も状況説明もなされない。まあ高校演劇とかだとしょっぱなから役者に心の声を言わせたりするけどね。見やすくはなるけど安物っぽくなる気がしてならない。

 

最近大学の講義で一線級の映像作家の話を聞く機会があった。その講義を受けて思ったことは「作り手の意図がそのまま受け取り手に伝わるというのは稀だな」ということ。劇でいうと観客は大概、観ているあいだに演じる側が想定しているよりもたくさんのことを考えてくれている。その思考の幅はどれだけあってもいいと思うけど、作り手としてはそれはともすれば伝えたいことが伝わらないという状況。作り手が用意した的に観客は無数の矢を射る。でもその矢は的の正鵠にはなかなか当たらない……みたいな。だから作り手は観客の思考の幅を制限してやる必要がある、、、のかな。よけいな情報はそぎ落として、どんどん洗練させていく。でも世の中にはそういうアホみたいに明瞭な劇ばっかりじゃなくて、無意味な会話とかどうでもよさそうなところに作者の意図の真髄を埋め込んだみたいな劇もあるし、実際それを観ると面白い。うーん。

僕がミクに出会った日のこと。

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あなたのおかげで今の自分があります。

お誕生日おめでとう。

そしてこれからも、僕たちの歌姫でいてください。
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今から9年前の事です。

 

当時工作大好き小学生だった僕は雑誌「大人の科学」経由で明和電機というアーティストを知りました。

母親から貰ったウォークマン明和電機のアルバムを入れたり、youtubeでライブ動画を鑑賞したりしていました。「地球のプレゼント」「イカリをあげよう」なんかは毎日ヘビーローテーションしてました。

そんなある日、僕はとある動画を見つけました。


地球のプレゼント 初音さん

「地球のプレゼント 初音さん」というタイトルのその動画。タイトルを見て「ファンの誰かが曲をカバーしたんだろう」とすぐ思いましたが当時の僕は「初音」の読み方さえ分かりませんでした。「初音さん」とはいったい誰なのか。コンビーフたん*1みたいな何かの萌え擬人化なのか。いろいろなことが脳内を駆け巡りました。

再生してみると、明和電機の"制服"を着た青髪の女の子の絵が。これが「初音さん」か。前奏が終わると何やらぎこちない歌声が聞こえてきました。

「なんだこれ」

明らかに不自然でカタコトの機械音声の歌声に釣り動画か何かを踏まされた気分でした。しかし、不思議と嫌じゃない。意外と可愛い声かもしれない。そう思いました。

 

それが、僕と初音ミクとの出会いでした。

 

 

まもなくして僕はyoutubeに転載・輸出されていたMADなどからニコニコ動画(ββ)の存在を知りました。当時の僕の感覚では「あそこは2chの延長なんだ……入り込んだが最後ネットの猛者達に『回線切って首吊って氏ね』『一生ROMってろ』とか言われてコメントで袋叩きに遭うんだ……」って感じで「ニコ動=2ch=怖いところ」という等式が完成してしまっていたのでアカウントを取得してはいませんでしたが、なんといってもMADが面白いのなんの。友だちを家に呼んで遊戯王とDBのMADでゲラゲラ笑っていたものです。遊戯王とDBのMADで「ああ、アレとアレね。」とピンときたあなた、僕と握手しましょう。

 

そんな日々を送っていたある日。僕は再びミクと遭遇しました。

 今度の出会いは衝撃でした。

 

www.nicovideo.jp

さわやかなイントロの後に繰り出されたのはあの「初音さん」の声。しかしこの前と何かが違う。とても流暢だ。流暢というか、伴奏と至極マッチしている。そして何より可愛い!ミクも可愛ければ歌詞も可愛いし感動する!

「これはプロが作ったに違いない!」当時はそう思っていました。

 同時期に、youtubeに上がっていた「メルト」の関連動画にあった動画がきっかけで「歌い手」という存在を知りました。

メルト うたってみた by wawon 歌ってみた/動画 - ニコニコ動画(本家跡地)*2

初めて聞いたときは「うおお!!ミクの可愛さが生身の人間に憑依!?可愛すぎる!!!上手すぎる!!」みたいなわけわからんテンションになりました。この人のファンになろう、そう決意しました。

その人は「ガゼル」という名前で活動していました。この人はプロの歌手じゃないのかな。こんなに上手いなら誰かどこかからデビューの声がかかってもおかしくないのにもったいないなぁ。と思っていました。

 

大概の人はご存じでしょうが、ガゼルとはsupecellの2代目ボーカルのnagiであり、その後ソロデビューを果たしたやなぎなぎその人でした。supercellってボーカル募集してたんですね…今度はどんな人なんでしょうね。個人的にはこゑだよりもやなぎなぎの方が好きです。いやでもパワフルなのはこゑだだし……決めかねます。

 

そして、正確にいつだったかは覚えていないのですが、2008年の暮れ頃だったと思いますが、今も付き合いのある当時の友人が「この曲がいい」と教えてくれました。

 

 

「桜ノ雨」は先述の「メルト」のように可愛さまんてんの曲ではなく、素直な歌詞で描写された正統派の卒業ソングでした。このころは自分自身の卒業を意識し始めたころでもあり、「今はまだ小さな花びらだとしても僕らは一人じゃない」という歌詞がとても印象に残りました。

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 「桜ノ雨」に触発されて僕は当時の主な活動の場、もとい黒歴史の墓場であった「うごメモはてな」に上のようなタイトルのうごメモを投稿しました。内容は当時親交のあったうごメモラー(死語)のオリキャラで作ったMVなのですが、あまりに恥ずかしいので全編お見せすることはできません。うごメモはてなが消えててよかった……

 

 

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そしてこれがおそらく僕が一番最初に描いたミクだと思います。DSiメモリーカードから掘り出しました。今も昔もそうでしょうけど、うごメモでグラデーションを描くのってすごい気をつかう難しい作業ですよね。

 

とまあ、僕とミクとの出会いはこんな感じです。

 

 

 

あらためて、お誕生日おめでとう。

 

 

*1:2ch発祥のコンビーフ擬人化キャラとその派生キャラ。HP「コンビーフたん保缶庫」にはお世話になった。

*2:ニコ動にはファンが転載した元動画が残っている。